第6章 偽の理由
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「人が何かをするときには理由がふたつある。よい理由と本当の理由だ。」 J・P・モルガン これまでの論点
2章: いかに人間が自然選択の競争に縛られているか、またそれによって自己本位で野心的な行動が報われているか
3章: 社会規範がいかに自分な勝手な衝動を抑えるか、けれどもいかに壊れやすく、守らせることが難しいか
4章: 規範執行の脆弱性んいつけこみ、おもに悪い行動が人目につかないようにする方法で、人間がいかに多くの、またさりげない方法で不正を働こうとしているか
5章: それらすべての規範回避テクニックのなかでももっともわかりにくく興味深い自己欺瞞を詳しく調べた
総合すると、これらの本能や傾向が脳の中のゾウを作り上げている
それは認めたりじかに向き合ったりしたくない自分自身、自分の行動、自分の心の真実
たんに、私たちは自分勝手な衝動で行動すると報いられることが多いが、自分勝手を認識するとそれほど報われず、そして脳もやはりそうした動機づけに反応しているだけ
本章では特殊なタイプの自己欺瞞に注意を向ける
わたしたちが戦略的に自分の「動機」に無知だという事実
わたしたちは明らかに理由について知ったかぶりをしている
コーラを取りに行きたかった
「脳梁離断術」、脳の左半球と右半球をつなぐ神経を外科的に断ち切る手術を受けた患者 スペリーとガザニガが実験を行うまで、分離脳患者に特に変わったところはないと考えられていた
脳梁離断術によって脳が分断されると、ふたつの半球がそれ以降互いに情報を共有できなくなる
さまざまに異なる実験設定で行ったのは「右半球」にあることをするよう命じておいて、「左半球」に説明させること たとえば左半球にはニワトリの絵、右半球には雪のつもった原っぱを見せる
実験者は患者に「左手で」、今見た絵に該当する言葉を指差すよう求めた
左手はシャベルを指差した
実験者は患者になぜ選んだのかを「説明」するように求めた
左半球の機能
右半球だけが雪の積もった原っぱをみたのであり、シャベルを指差すという判断は右半球の一方的な決定だった
左半球の観点から見れば、唯一の正しい答えは「わからない」
ところが、左半球の答えはシャベルが「ニワトリ小屋を掃除するため」に使うものだからと答えた
言い換えれば、本当の理由がわからない左半球がその場で理由をでっちあげた
別の実験設定では、スペリーとガザニガは患者に右半球(左耳)を通して、立ち上がってドアのほうへ歩くよう求めた
患者がイスから立ち上がると、彼らは患者に大きな声で、何をしているのかと尋ねた
唯一の正直の答えである「なぜ立ち上がったかわからない」
左半球は「コーラを取りに行きたかったのです」と真実をごまかした
理由づけ
これらの研究が実証しているのは、脳はいかにたやすく行動に理由づけができるかということ
神経科学者には「作話」としても知られている理由づけは、だます意図なく組み立てられた作り話の産物 正確には「うそ」ではないが、偽りのない真実でもない
人間は考え、記憶、外見に関する「事実」の見解など、あらゆるものごとに理由をつける
しかし自分の動機ほど理由づけしやすいものはほとんどない
自分の心の外にあるものごとについて話を作ると、事実関係のチェックにさらされる
自分の動機について作り話をすれば、大幅に異議を唱えにくくなる
理由づけは言うなれば一種の認識の偽造である
他者がこちらの行動の理由を求めているときは、本当の、根底にある動機を求めている
そこでわたしたちが理由づけ、つまり作り話を行う時は偽造した理由を差し出す
コラム5 「動機」と「理由」
本書で「動機」という言葉を用いる場合、それは意識しているかどうかに関係なく、行動の根底にある原因を指す。
「理由」は行動を説明するときに使う言語による説明
理由は正しいときもあれば正しくないときもあり、都合のよいところだけ選んで用いるような、両者の中間のときもある
それが実際には根拠のないでまかせであっても、自分が心で企んでいることを正直に説明するものとして提示する
理由付けの極端な例は、右半球の脳卒中によってときどき発症する障害否認(病態失認)の患者に見ることができる 典型的な例では脳卒中によって患者の左腕がまj秘するが、不思議なことに、患者は自分の腕には何の問題もないと完全にそれを否定し、左腕がだらんとただぶら下がっていることについてありとあらゆる奇妙な理由を作り出す
「ああ、先生、肩が関節炎で痛いので、腕は動かしたくないんです」あるいは別の患者はこうだ。「医学生が一日中つつきまわしたので、今はなんだか動かしたくなりません。」両手を上げるよう促すと、ある男性は右手を高くあげ、わたしの視線が動かない左手に固定されているのに気づいてこう言った。「あのう、見ての通り、右手を上げるために左手を下げてバランスを保っているんです。」(Ramachandran, Blakeslee, & Sacks, 1998) その奇妙な否認を除けば、これらの患者は精神的に健康で知的な人々
けれども、いくら詳しく質問しても、誰の目にも明らかな真実、すなわち左腕が麻痺していると彼らを説得することはできない
それ以外の健康で脳がひとつにつながっている人々は、自分の行動を説明しろという問いに毎日直面している
「報道官」の登場
脳卒中や分離脳患者が作話をするからといって、必ずしも健康で脳がひとつにつながっている人間が同じだとは限らない 脳は複雑な臓器であり、卒中であれ外科手術であれ、その一部の破壊がおかしな行動、つまり本来の設計とは異なる行動を引き起こしても驚くにはあたらない
「わたしは左半球のこの部分を『インタプリター(解釈者)』と呼ぶことにした。なぜならそれは、内部と外部のできごとに説明をつけようと、実際に体験している事実を拡大して、生活におけるさまざまなできごとの意味が通るようにしている、すなわち解釈しているからだ」(Gazzaniga, 2000) このモジュールの仕事は、説明を組み立てて、経験の解釈あるいは意味づけを行うこと
過去と現在、自分自身と外界に関する情報が統合された話を組み立てる
この解釈者は手に入る情報に基づいて最大限の力を発揮する
したがって、脳がひとつにつながっている患者で、情報がふたつの半球のあいだを自由に行き来できるときには、解釈者が作り上げる説明はだいたい筋が通っている
ところが、脳の損傷でもそれ以外の原因であっても、情報の流れが遮断されると、解釈者は不明瞭で想像任せの説明、あるいはまったくの作り話を組み立てざるをえなくなる
解釈者について重要な問いは、いったいだれのために解釈しているのかということ
「内部」の聴衆、つまり脳の残りの部分のためなのか、それとも「外部」の聴衆、つまり他者のためなのか
答えは両方
しかし、外向けの機能は、驚くほど重要である割にあまり注目されていない
コラム6 「報道官」
本書で「報道官」とカギカッコ書きにしている場合は、一般に第三者に対して行動を説明する役割を果たしている脳のモジュールを指す。
その発想は、インタープリター・モジュールが脳に対して行うことと、典型的な報道官が大統領や首相のために行うことには構造的な類似点があるという点に基づいている
事後の理由づけが実行されているところを見たければ、大統領や首相の報道官が記者から質問を受けている様子を眺めればよい。政策がどれほどひどくても、報道官はそれを称賛あるいは擁護する方法を必ず探し出してくる。すると記者がその主張に異議を唱えて、それとは矛盾する政治家の発言や、数日前に報道官本人が口にした言葉までもを引き合いに出す。ときに、報道官が適切な言葉を探しあぐねて気まずい沈黙が流れることはあっても、けっして聞こえてこないのは「ああ、確かにそのとおりだ。政策を考え直したほうがいいかもしれないね」という言葉である。
報道官には政策を決定したり見直したりする権限がないため、それは言えない
彼らは一方的に政策が何であるかを告げられるだけで、その政策を国民に対して正当化するために証拠や主張を見つけ出すことが仕事だ(Haidt, 2012) 彼らは重要な内容の一部に関与できるほどには実際の意思決定者に近いが、全体像を知るまでは近くない
しかしながら、きわめて重要なことに、報道陣に対して話すとき、彼らはそれが特定の人しか知らない情報に基づく回答なのか、経験に基づく単なる推測による回答なのかを区別しない
報道官は「政権がやっていることはこれだと思います」とは言わない
「コーラを取りに行きたかった」と断言した分離脳患者の左半球のように、あたかもそれが正当であるかのような話し方をする
報道官はまた、機密に属する情報や損害をもたらしかねない情報を引き出そうとする記者と大統領のあいだの緩衝材の役目も果たしている
だいたいにおいて情報をすべて知らされていなければならない大統領には不可能な戦略的無知を、報道官は自分に有利に用いることができる 報道官本人が知らなければ、誤って報道陣に暴露してしまうことはない
それこそが、報道官の役割を危険にする原因である
つまりそれは、実際にうそはつかずに、できるかぎりうそに近づくということ
報道官や広報室がこの世に存在するのは、組織にとって彼らを使うことが信じられないほど有益だから
彼らの存在は、広範な生態系内で組織が直面する混合動機のの刺激に対する自然な反応だ そして、クルツバンやデネットらの主張は、わたしたちの脳が大統領報道官によく似たモジュールを発展させて同じ刺激に対応しているということ
何より、よからぬ動機を認めないようにすること、つまり脳の中のゾウを注意深く裂けることが「報道官」の努め
大統領の報道官は、大統領が自分の再選のため、あるいは資金援助者の要求をかなえるために政策を打ち出しているとは決して認めてはならない
同じように、脳の「報道官」はわたしたちがまったくの私利私欲のためにものごとを行うことは認めたくない
とりわけ他者を犠牲にして利益を得る場合にはそうだろう
そのような動機があるかぎり、「報道官」は戦略的に無知であったほうが賢明である
さらに、実は自分こそが心の中の「報道官」であると言ってもよい
つまり、自分だと考えられている心の部分、「わたし」「わたし自身」「わたしの自我」など自分の意識だと思っている心の部分こそが、外部の聴衆に対して戦略的に真実を紡ぎ出しているものの正体
日常生活では、自己を最終的な意思決定者として扱う傾向が強い
しかし、過去40年の社会心理学が導き出した結論によれば、自己は独裁者というよりむしろ報道官の役割を果たしている
多くの点でその仕事、すなわち自分自身の仕事は、意思決定をすることではなく、たんにそれを弁護すること
スティーヴン・カース「あなたは自分の脳の王様ではない。王の隣に立って『賢明なご判断です、陛下』と言っている気味の悪い男だ。」 別の言い方をすれば、自分自身でさえ自分の心のなかにある情報や意思決定にアクセスする特権を持っていないことになる
社会心理学者のウィルソンは内省の危険について長く研究を続けてきた人物
1977年に発表された影響力のある論文から始まり(Nisbett & Wilson, 1977)、2002年に刊行された『自分を知り、自分を変える 適応的無意識の心理学』で頂点を極めたウィルソンは、衝撃的なくらいわたしたちが自分の心をほとんど理解していないという点について事細かく記している ウィルソンの記述にある「適応的無意識」とは、意識の範囲外にある心の一部だが、それにもかかわらず、判断、感情、思考さらには行動の多くを生じさせている 「人の反応が適応的無意識によって引き起こされているかぎり、人はその原因には特権的にアクセスできず、推測するしかない」
人は莫大な量の情報を保有しているにもかかわらず、自分の反応の原因に関する説明は、同じ文化圏内で暮らしている赤の他人による説明と同じくらい不正確だ(T. D. Wilson, 2002) つまり、これこそが、わたしたちの心理学的な問題の中心に存在する重要で巧妙なトリック
わたしたちは他者そして自分自身に対して、あたかも自分がすべてを仕切っているかのように振る舞っているが、自分で思っているほどすべてをまかされてはいない
大抵の場合、じつは情報に明るい部外者と同じ柄レベルの推測をしているだけ
結果として、わたしたちが理由を述べるときはいつでも、たんなるでっち上げの可能性がある
門番の横をすり抜ける
心のなかで実際に何が起きているのかを理解したい人にとって、「報道官」モジュールは障壁となる
したがって、本章はもちろん本書全体における課題は、その門番の横をすり抜け(この類似はDarcey Rileyの好意による)、「報道官」の偽装の裏で、実際に心のなかで一体何が起きているのかを盗み見ること すでに見てきた効果的な方法の一つは、分離脳と脳卒中の患者の研究
門番の横をすり抜けるための昔ながらの方法は、注意をそらすこと
社会心理学に際立つ特徴の一つは、注意をそらすという要素に頼った実験が多いこと
有名な研究の一つでは、被験者が3つの「異なる」洗濯洗剤の箱を家に持ち帰り、洒落着の選択に最も適しているのはどれかを評価するよう求められる(Packard, 1957) すべて同じものだが被験者はそれを知らない
1つ目は黄色、もう一つは青色、3つ目は青地に「黄色の模様」が入っている
評価において被験者は圧倒的に3つを選んだ
被験者は単に青地に黄色模様の箱を選んだだけだが、洗剤を評価するよう求められ、その洗剤が異なっていると信じ込んでいた耐えに、被験者の「報道官」はそれにだまされて偽りの説明を作り上げた
そうした研究すべてにおいて、実験で用いられただましの方法は同じ
商品は同じなので、第三者には述べられた理由が間違いなく理屈づけだとわかる
場合によっては、実際には言語的判断ではなく知覚が実験のうその影響を受けていた可能性もある。言い換えれば、戦略的な情報の曲解が先に起こり、「報道官」は何も理由づけする必要はなかったということだ。Plassmann et al., 2008を参照されたい また、自己欺瞞は情報処理の「すべての段階」出酒応じているというTriversの所見も参考にされたい
もっと大胆にだました実験もある
実験者は男性被験者に対して一度に二枚の女性の顔写真を見せる
被験者は提示されるたびに、2枚のうちどちらのほうが魅力的かを問われる
被験者が知らないのは、自分が写真を選ぶと、実験者が巧妙に手元をごまかして選ばれなかったほうの写真をすっと差し出していること
それから被験者は自分の「選択」について説明を求められる
参加者のほとんどは、写真がすり替えられたことに気づかなかったばかりか、選んでいないほうの写真を差し出されてもそのままその写真の具体的な「選択」理由を述べ続けた
選択に時間制限がなく、髪の色や型が異なる女性二人というもっともわかりやすい条件下でさえ、被験者が騙されたと気づいた割愛は3分の1ほどだった
ほかに、偽の理由を「統計学的に」発見する方法もある
人々をふたつのグループに分け、ひとつかふたつの条件を変えて、それぞれのグループがその行動についていかに異なる理由づけをするかを観察する方法
2グループに分け、各グループは外国なまりのある教師の短い動画を見て、その教師の外見、癖、なまりと、全体的な好感度を評価した
二つのグループの唯一の違いは、その教師と生徒との関係
思いやりがあって親しみやすいものと、冷たくとげとげしいもの
好意的な条件の被験者は明らかに教師に好感を抱いた
そして、ハロー効果によって好感度以外の特徴も引き上げられて高く評価された ところが教師の全体的な好感度が他の特徴の判断に影響を与えたかどうかを問われると、被験者はきっぱりとそれを否定した
実際、被験者の多くあh、その反対で、教師の外見や癖やなまりが好感度を押し上げたと述べた
言い換えれば、自分たちの判断に影響をおよぼしたのが教師の振る舞いだったということが、被験者にはわからなかったのである
実社会における理屈づけ
親はしばしば「子どものために」就寝時間を守らせるが、それは自分のためでもある
自分が望まない社会的な接触を避けるために、小さな不具合が誇張されることがよくある
音楽、映画、本などチョkさうけんのあるものを違法にダウンロードする人は、自分の行動に理屈をつけることが多い
要するにわたしたちは自分の行動に多くの理由をつけるが、習慣的に、聞こえのよい向社会的な動機を強調かつ誇張し、醜い自分勝手な動機を控えめに言っているのである
人間が他者を欺くために偽の理由づけをする、つまり賛成と反対の理由をあれこれ持ち出して何を信じるかを決定するという基本的に健全な能力の逸脱と考える人もいるかもしれない
しかし実際には、様々な理由をあげるという人間固有の傾向が主として社会的な効果のために設計されたものだという首長は信頼できそうだ
つまり、人間が様々な理由をあげる能力を発達させたのは、おもにあらかじめ決められた結論に他者の支持を取り付けるためだということ
おさらい
これまでのところ、本書は主に理論に焦点をあててきた
次章以降では、生活のさまざまに異なる領域を検討していく
良くも悪くも本書の内容はきわめて広範囲である
論じている殆どの領域において、著者二人はどちらかと言えば素人だ
関連する文献を学ぶ最大限の努力はしたが、読める分量はかぎられているため、きっと重要な情報を見落としているだろう
したがって、わたしたちの首長のほとんどは、特に議論の余地がある部分は、それぞれの分野の専門家から引き出したものである
本書の資料や証拠が偏っているように見えるなら、おそらくそのとおりだ
つまり、わたしたち二人は詳細はおろか、場合によってはそれよりまとまった結論まで、いろいろなところで正しくないに違いない
本書の主な目的は、隠された動機がじつはありふれたことでしかも重要だと証明すること
それは、人々はだいたいにおいて自分が思っている理由どおりに行動しているというそれとは正反対の理論に対して、決して小さくはない変更を挑むこと
その目的のためには、すべてについて正確である必要はない
全体的に見て欠けている部分については、ほかのだれかが、きっと、わたしたちの視野を広げ、誤りを指摘してくれるだろう